友人の言葉にここまでショックを受けたのは初めてだった。
その友人の名前は、東 友一(ひがし ゆういち)という。大学に入学して初めてできた友達だ。大学に入学したての頃は、地元から離れ県外の大学へ来たこともあり、かなり心細かった。そんな時に、気さくに声をかけてくれたのが東だった。
それから、東とはいつも一緒にいた。しょっちゅうどちらのかの家で集まって朝までお酒を飲んだり、一緒にゲームをしていた。同じサークルにも所属していた。
東と喧嘩をした記憶はなく、東はとてもやさしい性格で、人の悪口を言ったり、口汚い言葉を使うような人間ではない。これまで、東からショックを受けるような言葉を言われた記憶などない。
しかし、今、東の口から放たれた言葉で、僕の心臓は止まってしまいそうになっていた。
あのやさしい彼がなぜそんなこと言うのだろう?
僕は、あろうことか、そんなことを思った。
彼と一緒に所属しているバレーサークルには、高山 奏(たかやま かなで)さんという一つ上の先輩がいた。彼女は、きらきら光るような鮮やかな髪をしていて、肌は石鹸のように白かった。どんな些細なことでも、声を上げて笑う彼女は、サークルでも人気ものだった。きっと、サークルのほとんどの人がひそかに彼女の横を狙っているに違いない。
もちろん、僕もそのうちの一人だ。
そんな彼女の話を、東を学食で昼食を食べながら話している時だった。
彼は、おもむろに、こんなことを言ったのだ。
「そういえば、俺、奏先輩と今度ライブに行くわ」
僕は、まるでドラマのように箸を手から滑らせて、箸は床に落ち、カランと乾いた音を立てた。
東は、冗談かと思ったのか、笑った。
「え? なんで?」
僕は言った。
「いや、なんか、友達と行こうと思ってたらしいけど、その友達が行けなくなったからって、誘われた」
「そ、そうなんだ……。え、あ、そうなんだ」
東は、なにも特別なことではないかのように平然と、話を続けた。
「前には、そのバンドが好きだって話をしてたんだよ。たぶん、それで、誘ってくれたんじゃないかな?」
「えっと……なんていうバンド?」
「”マカロニえんぴつ”っていうバンドなんだけど」
「知らない」
「まあ、まだそんなに有名じゃないからね」
音楽を全くと言っていいほど聞かない僕には、さっぱり分からないし、変な名前だなとしか思えなかった。僕のアイポッドには、ビートルズとアニソンしか入っていない。
「東って音楽聞くの?」
「まあね」
「そんな話、一回もしたことないじゃん」
「だってお前、音楽聞かないじゃん」
「なんだよ、それ……」
「え? どうしたの? なんか、怒ってる?」
「いやいやいやいや、そんなわけないじゃん。なんで怒るんだよ」
僕はそう言って無理矢理笑った。
僕は、東にも、奏先輩のことが気になっていることは伝えていなかったのだ。僕は、これまで彼女ができたことはなかったし、まともに人を好きになったりすることもなかった。そう言った色恋沙汰の話を誰かとすることさえ、なかったのだ。
だからこそ、僕は奏先輩に対するこの思いを誰にも言えないでいた。
それなのに、東は、あろうことか、「一緒にライブへ行く」などという、犯罪スレスレの発言をしたのだ。
僕は、今にも卒倒してしまいそうだった。
東は、午後授業あるからそろそろ行くわ、と言って立ち上がった。
「あ、あのさ」
「ん? どうしたの?」
「あの、どこでやるの? ライブ」
「えっと、横浜」
「横浜ね……。まあ、その、気を付けて」
「……おう。ありがとな」
彼は、食堂を出ていった。
僕は、すぐに、東の次に仲の良い木下へ電話した。
「……もしもし」
木下はどうやら、今起きたようだった。
「今日、飲み行こうぜ」
「……いいよ。何時から?」
「今から」
「今!? まあ、いいけど」
「助かるよ。お前がいてくれて良かった」
「……何言ってんだよ。そっち行くわ。今大学でしょ?」
「そう。待ってる」
僕は、まるでピーター・ストラウブの小説に出てくる亡霊のようにふらふらとした足取りで、食堂を出ると空を仰いだ。
僕の脳内ではさっそく妄想がはじまっていた。
東と奏先輩は、ライブで意気投合し、帰りに一緒に飲みに行くかもしれない。そこでさらに距離は縮まり、あろうことか、終電を逃してしまうかもしれない……。
奏先輩が裸になっているところを想像した。
東がその後ろに立っている。
二人は自分たちが映っている鏡を見ている。
僕は、今にも泣きだしてしまいそうだった。
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